京都浄土宗寺院 特別大公開 本覚寺へ

法性寺の前で拾ったタクシーで、五条通りの富小路手前で降りました。時間は、10時48分に着いて向かった先は、降りて目の前にある京都浄土宗寺院 特別大公開本覚寺です。

この日は、10月11日(土)で、この辺りにある浄土宗寺院が一斉に特別公開されました。その殆どの寺院の公開時間が10時から12時までとなっており、昼までが勝負だったんです。順番は、富小路通りを北から南へ下がって行こうと決めてました。

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五条通り富小路の交差点を下がると直ぐに山門があります。

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山門の中は駐車場になってて、車やトラックが所狭しと止まっています。普段は観光寺院でないのが分かります。

本覚寺の公開は、10月11日(土) 10時から12時で、拝観料は無料でした。

公開時間が2時間しかないためでしょう、多くの人が来られてました。いつもなら人の途切れるのを待ってから撮りますが、時間がないのと・・・それより途切れません

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山門から駐車場をとおり中門から入ります。

門を入って正面が本堂です。普段は閉まってますが、今日は上がることができました。

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堂内は撮影禁止でした。それより驚く程多くの参拝客で賑わってます。

堂内は広いです。その中央に本尊の阿弥陀如来立像がお祀りされていました。そして右手には涅槃図が掛けられていました。そして右奥の突き当りに源融像と、その源融が河原院に勧請したとされる塩釜神社扁額神像がありました。

写真も撮れないし、朱印もされたなかったので、ここには5分ぐらいで出ました。ただ、前庭は見て帰りました。

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ここには阿弥陀如来像地蔵菩薩像が祀られてました。

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最後に駐車場の中にある鐘楼を見せて貰いました。

由緒書きも無かったので、門前にあった駒札より。

山号を佛性山(ぶっしょうざん)といい浄土宗の寺で、開祖は團譽(だんよ)上人玉翁(ぎょくおう)和尚である。ここは嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の河原院塩竃(しおがま)の第(だい)のあったところで、今この辺を本塩竃町という。寺伝によれば、初め西八条の遍照心院(1名、大通院)内に将軍源実朝(さねとも)の後室・坊門信子(ぼうもんのぶこ)が1222年(貞応元年)に創建したもので寺名は信子の法名本覚をとったものである。その後、梅小路堀川に移転し、応仁の乱の荒廃のあと細川政元により高辻烏丸に再建せられ、末寺14を有する本山となった。その後、後柏原天皇の勅願寺となったが、1591年(天正19年)豊臣秀吉の命によってさらに今の地に移った。境内墓地には八文字屋本の全盛期を築いた江戸中期の版元・八文字屋自笑(じしょう)の墓がある。

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次ぎに道知院に行きますが、鐘楼の下に案内が出てました。道知院の表門は本覚寺の書院から見えてました。本覚寺の裏手にあたります。時計は10時54分を指してました。後1時間です。つづく。

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