2017年(平成29年)京都十六社朱印めぐり 豊国神社へ

2017年(平成29年)の初詣は、1月1日(日)には松尾大社と車折神社に行きました。早朝に行きましたが大変な人出でした。そして翌日の2日(月・祝)には例年通り六波羅蜜寺に初詣。8時40分頃に着いてお参りのあと、次の目的地である豊国神社に向かいました。

豊国神社では正月の1日~3日に限り、国宝・唐門より奥にある本殿前まで参拝できるんです。特に何時からとは書いてないので、取りあえず9時を目標に行けるように六波羅蜜寺を出ましたが、着いたのが9時2分・・・既に唐門は開いてました。

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六波羅蜜寺から南下してきたので最短コースで来ました。豊国神社の北側にある方広寺の“鐘楼”には多くの人が集まってる中、一目散に唐門から“神域”に入ってみると・・・。

大徳寺・西本願寺と並び国宝の唐門を初めて入りました。いつもは遠目にしか見られない拝殿の横をとおり、本殿前にまてやって来ました。

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この拝殿の中も白砂が敷き詰められてて通り抜けることができます。綺麗に敷き詰められていますが、既に足跡が・・・

瑞垣に囲まれた本殿前までやって来ました。早朝の朝陽に照らされて本殿間は少々眩し中、数名の方が参拝されてたので、暫く待ちました

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今さらながら御祭神は、前関白太政大臣・豊臣秀吉で、御利益は、秀吉にあやかって出世開運、良縁成就です。本殿は石段の上にありましたし、社殿の前には京都美術工芸大学から奉納された「太閤秀吉」の絵が飾られてました。

1598年(慶長3年)8月18日、伏見城内で豊臣秀吉は62歳の生涯を終えました。遺命により京都東山の「阿弥陀ケ峰」に埋葬され、翌1599年(慶長4年)には山腹の「太閤坦(たいこうだいら)」に日本最初の権現造りで壮麗で雄大な社殿の造営され、後陽成天皇より「豊国大明神」の神号を与えられ神として祀られました。その社殿を「豊国社(とよくにのやしろ」と呼ばれ約30坪の規模を誇ったといいます。その後、天下を獲った徳川家康の意向により廃絶の道を辿り長らく不遇の時代を過ごすこになりました。明治に入ると再興し、1880年(明治13年)に旧方広寺大仏殿跡地に新社殿を造営し遷座。京都市民から「ほうこくさん」と親しまれ、秀吉公の立身出世から出世開運の神様として尊崇を集めています。

年に3日しかお参りできいので、今年はどうしても行こうと決めてました。次がその右隣にある摂社・貞照(さだてる)神社で、御祭神は秀吉の正室である高台院寧々・北政所(従一位 准后 豊臣吉子)と書いてありました。

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1925年(大正14年)に創祀。秀吉と仲睦まじく、隣同士で祀られてました。ここも正月3日間しか参拝できないです。

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小姓から秀吉を支えた北政所寧々。このように秀吉と隣同士、石段の上に祀られてます。屋根が朝陽に照らされてるのがお分かりかと思います。

これで年頭の目的は果たせました。次ぎに国宝・唐門を内部から見るまたとない機会で写真撮りました

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いつもなら朝陽に照らされて逆光になるところ良い具合に撮れましたし、皆さんも本殿や拝殿、唐門を撮られてました。唐門の前には瓢箪型した絵馬が掛けられています。

総檜造りの大唐門は、国宝に指定され、大徳寺、西本願寺の唐門と併せて国宝の三唐門といわれています。伏見城の遺構といわれ、創建時は彫刻に金箔が施されていた伝えられています。

豊臣秀吉が戦場で自らの存在を示すために用いたとされる馬印(うまじるし)「千成瓢箪(せんなりびょうたん)」に因んでいます。秀吉が瓢箪を非常に好んでしたのは有名ですよね。

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大晦日とお正月に訪れた松尾大社ほどでも無かったけど、ここも大きな酉の絵馬が飾ってありました。

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ここで社務所にて今年の“京都十六社朱印巡り”の台紙と朱印をいただきました。私の前2の人が初めて廻られるので社務所の人が説明されてましたが、私は2度目・・・2月15日までに廻ります

本来なら次ぎに向かいますが、久し振りに宝物館に入ることにしました。2009年(平成21年)12月に来て以来7年振りです。

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拝観料は300円で、調べると7年前も300円でした。入ると誰も居ませんので、撮影させてもらいました

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1925年(大正14年)に開館した宝物館は桃山風造りとなっています。内部は撮影禁止ではありませんので、戦国歴史ファンにとっては興味津津です。しかし詳しくは拝観料を払って見て下さい

ここで宝物館のさらに裏側(東側)に進みます。本当はこれが目的だったんですが拝観料無しでは入れなかったので。見たかったのは馬塚です。

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豊国神社が再興される前は豊臣秀吉を偲ぶ人々は、この馬塚を代わりに拝んでいました。しかし塔には“豊臣秀吉”の文字はありません・・・。

塔には「元和元年八月十八日」と秀吉の命日が刻まれています。表だって名を出すことが憚れてた時代背景を偲ぶことができます。

何周か廻って見ましたが文字が擦り切れて読めませんでした。再び宝物館の横を通る時、数名が入られましたが、ここまで来られるかなぁ

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最後に出口に向かって歩いていると左手に茶室「豊秀舎(ほうしゅうしゃ)がありました。本社例祭なとで行われる献茶会で使用されるとか。本当は立入禁止だったようですが、開いていたので入ってみました・・・しかし、後で注意されましたけど

今日は方広寺から入って来たので、この手水舎の前は通ってませんでした。水盤の豊臣家の家紋“桐紋”と呼ばれいますが、時の後陽成天皇から正式に下賜されてたんですね。

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これって何処かで見た事が・・・調べると・・・政府、内閣総理大臣、内閣府紋章として豊臣家と同じ桐紋を使っていました。明治政府からだそうで、徳川幕府から明治維新になって“豊臣家”の“桐紋”を使うっていうことは何か意味がありそう・・・です

写真は昨年のものですが、末社の槇本(まきもと)稲荷社で、毎年11月8日に御火焚祭(おひたきさい)が斎行されるそうです。

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境内の東北角に赤鳥居を進んでいくと、覆屋の中に祠がありそこに槇本大明神が祀られていました。

“方広寺鐘銘事件”の鐘が今も残る方広寺は、この槇本稲荷社の隣にあります。9時頃てしたが多くの人が鐘楼にあがられていました。戦国歴史ファンにとっては外せないスポットですよね。

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写真のように参道はまっすぐ西に向いています。この通り名が“正面通り”といい、かつてここに大仏殿があったことを物語っています。

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「豊国大明神」と書かれた扁額が架かる石造りの明神鳥居は雄大です。歴史に翻弄された豊国神社をたっぷり楽しんでここを出ました。

今年の「京都十六社朱印巡り」はここからスタートです。昨年のように一社毎の紹介はしませんが、これから2月15日まで頑張って廻ります

【豊国神社 本殿】

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