楠木正成が築城し難攻不落で知られた千早城跡へ

11月3日(祝・土)は「文化の日」で祝日ですが土曜日と重なりました。とくに祝日とは何の関係もありませんが(後で関係してきます)、会社の友人と日本百名城に指定されてる大阪府千早赤阪村にある「千早城跡」に行きました。

6時30分に我が家の近くにあるコンビニで待合せの予定が、家の前まで来てくれて、冷え込んだ朝、京都を車で出発しました。洛西口から京都縦貫道に入り、京滋バイパスから第二京阪道、近畿自動車道、阪和自動車道を通り美原北ICから国道に入り、100名城のスタンプが置いてある“まつまさ”の駐車場に8時5分に着きました。予定では2時間程度見込んでいたので、思ってたより早く着いたので、さっそくトイレを済ませ千早城跡の表参道を目指します。

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駐車場から下ると“金剛山登山口バス停”があって、多くの登山客がバスから降りられ金剛山に登って行かれます。さすがに大阪で人気のハイキングコースですね

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駐車場から歩いて2分ぐらいが千早城の表参道前です。ここから560段もの石段を登って行くことになります。頑張って登ります

天気も快晴で早朝のためか冷え込んで寒い中、8時12分に登城開始です。千早城跡には現在、千早神社が建っているので表参道と言いましたが、この石段・・・さすがに城跡だけに一段一段が高いんです。それで初めからゆっくりゆっくり登って行くことにしました。

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ここの石段は、休む所が無いです。ずっと石段です。前途したとおり、ここは千早神社になっているため8時14分に“一の鳥居”を通過しました。

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8時15分に、地元の方でしょうかお一人凄い行きよいで登って来られて、抜いて行かれました。私と友人はゆっくりゆっくりマイペースで登って行きます。

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急な石段を一歩一歩ゆっくりゆっくり登って行きます。8時23分には“石碑”がありましたが、見てる余裕はありません。

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この石段、中々ゴールが見えないですよね、いつまで登りが続くか不安になってきますが、ここまで来て引き返せないので頑張って登って行くと・・・。

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先の写真の石段を登り切り、ここでは休む所が無いので、直ぐに右に石殿を登ると、やっと先がゴールが見えました。

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8時25分、登り初めて約13分で“四の丸”に着きました。長く続く石段は知ってましたし、560段もの石段の数も知ってたので達成感があります

千早城は、南北朝時代の1332年(元弘2年)に楠木正成が挙兵時、楠木城(上赤坂城)とともに中心的山城として築城されました。「太平記」の記述によれば、寄手(鎌倉幕府軍)は数百万騎、見方は千騎たらずであったにもかかわらず、藁人形に甲冑を着せるなど様々なアイデアを用い幕府軍に応酬しました。楠木正成は、その武略と智謀に富んだ奇策によって百日間の籠城戦に耐えました。この城は鎌倉幕府の倒幕、そして建武の中興の原動力となった難攻不落の名城てす。

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この辺りで標高が約630㍍だと思います。平地より早く紅葉が進んでる“四の丸”には、故事にならって“藁人形”も置いてあります。

先に登られた方は、ここで着替えをされているので、今度は私らが先に“四の丸”を出ます。この先は山の稜線を奥に進んで行きますが平坦な道で良かったです。

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8時27分に“四の丸”を出ます。出口には“二の鳥居”が立っていました。なだらかな稜線を歩くこと約2分、8時29分に“三の丸”の入口にある石段前までやって来ました。

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三の丸”に着きました。時計は8時30分になっていたので、登り初めてから18分でここまでやって来ました。

三の丸には社務所もありましたが不在です。以前は宮司さんが住んでたようですが、ずっと前から留守になったようです。また、ここにも藁人形がありました。

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この三の丸には、千早神社の摂末社の社殿がありました。ただ、祠に何も書いて無いので分かりません。

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三の丸から最後の階段を上がって、ようやく本殿のある“二の丸”に8時31分に到着です。

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二の丸に着いて、左にある「手水舎」に行きました。友人も一緒です。城跡でもここは神社ですし、先に参拝します。

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ここは標高634㍍、最後の階段を上がって「本殿」前に出ます。階段下には“狛犬”、そして三の鳥居をくぐると・・・。

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8時33分、登り初めて21分に「本殿」に到着しました。思ってたより楽にここまで来られました。

1332年(元弘二年/正慶元年)千早城が築城した際、その本丸に千早城の鎮守として八幡大菩薩を祀って創建されました。後に楠木正成・正行・久子を合祀し楠社と称する。1874年(明治7年)に社殿を再建、1879年(明治12年)には祠を建て千早神社となる。御祭神は本殿に、楠木正成、楠木正行(正成の嫡男)、久子(正成の妻)を1907年(明治40年)に近隣の千早にあった坂本神社の大市媛命(おおいちひめのみこと)、中津神社の天太王命(あめふとたまのみこと)を相殿に合祀しました。1932年(昭和7年)に現在の社殿社務所を新築し現在に至る。

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ここは“二の丸”で、本殿の奥に“本丸”がありますが、本殿の左側から奥に進んでみると、「これ以上は神域のため立入禁止」のようなことが書いてありました。

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本殿の右側から奥に覗いて見ましたが、こちらも“立入禁止”です。本丸には石垣が残っているようですが、こちらからは見えません。

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本殿周りには摂末社がありましたが、こちらも何も書いてません。案内版にあった、椋木神社(大物主命)、廣内神社(金山彦命)、平神社(応神天皇)かも知れませんが・・・。

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8時36分に本殿前を出て、戻る事にしました。本殿前から“二の丸”を見ていますが、人工的に平坦にならしたことが分かります。

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次に8時39分に“三の丸”に降ります。帰りもゆっくりゆっくりじっくり見ながら降りて行きます。理由は・・・

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今は不在の「社務所」に書いてあるこです。「当社の御朱印は登山口のまつまさにあります」と。この“まつまさ”営業時間が9時からなんです

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8時40分、“三の丸”を出て、山の稜線に向かい“四の丸”の方向へ歩いて行きます。

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ここから金剛山登山口に降ります。帰りは車を止めている“金剛山麓 まつまさ”に行き、100名城のスタンプと千早神社の御朱印をいただいて帰る予定です。

その模様は“金剛山麓 まつまさ”を紹介する頁・・・次項に続きます。

【千早城跡 二の丸】

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