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zoom RSS 丹後を行く 京都府京丹後市間人 水無月神社・立岩展望台へ

<<   作成日時 : 2018/06/16 01:00   >>

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金刀比羅神社を出て、峰山町にあるコンビニに停車し、Oさんは珈琲を飲まれました。ずっと運転をしていただき、少々眠かった様子。私は水分は控えるので何も飲みません。しばらくして車は日本海の間人(たいざ)を走ります。冬の味覚である間人蟹は有名ですし、間人・・・“たいざ”は、蟹が有名でないと読めないです。そして海岸通りを走っていると、ある展望台で車を止めてくれました。

それが立岩展望台で、そこには水無月神社もありました。時計の針は11時18分になってて、約30分で着いたことになります。

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私は知りませんでしたが、この立岩・後ヶ浜海水浴場の奥に見えている岩が「立岩」と呼ばれる丹後のシンボルだそうです。

この写真をズームアップすれば「はしうど皇后・聖徳太子母子像」が写ってました。間人と呼ばれる地名になった由来なんですね、以前聞いたことがあります。

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さすがにこの時期には誰も泳いでませんし、サファーも居ません。この海岸は「丹後天橋立大江山国定公園」にも指定され、綺麗な海岸沿いを見せていただきました。

竹野川河口から竹野港付近の海岸では、柱状の割れ目をもつ巨大な岩石が多く見られます。特に「立岩」は、周囲1`にも及び、その巨大から地域のシンボルとして親しまれています。「立岩」に見られる柱状の割れ目は「柱状節理」と呼ばれ、地層中に貫入したマグマが冷えて固まる際にできたもので、竹野港の南西には「大成古墳」があり、その石室には立岩と々岩石が使われており、当時の人々が柱状節理によって適度な大きさとなるこの岩石を石材としてうまく利用したことがうかがえます。

また、ここでは案内で知りましたが「水無月神社」もありました。一見すると神社とは思えませんでしたが・・・そこには案内版があって知ることとなりました。

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そこには、謂われが書いてありました。それを丸写しすると・・・。

古墳時代の終り、第31代用明天皇(ようめいてんのう)の后・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)は蘇我・物部の乱を避けて大和から領地であった大浜の里(現間人・後が浜)に移られました。その供人に東漢直駒(やまとのあたえこま)・穂見中江麿(ほみのなかえまろ)等七人がおられ、東漢直駒の子孫が東(あずま)姓を名のり、竹野川を中心に交通運輸を司り其の祭神として、水無月神社を司祭しとしました。毎年7月28日斎宮神社桜井宮司の司祭にて祭事を奉納しています。

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この日の京都南部の天気予報では、気温は30度を超え夏日を。北部も同じく30度を超えると出ていましたが、海岸沿いは風が強くて暑いとは感じません。

ここには11時18分に着いて、11時20分には次の目的地に向かって出発しました。次は食事に寄る予定ですが、場所は“お任せ”しています

【立岩展望台】

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