平成26年 度春季非公開文化財特別公開 大報恩寺(千本釈迦堂)へ

本隆寺を出て、次に向かったのが平成26年度 京都春季非公開文化財特別公開千本釈迦堂 大報恩寺です。これで京都市文化観光資源保護財団よりいただいた拝観券を使い切りました

大報恩寺と言うより通称の千本釈迦堂の名で親しまれています。ただ、ここは通常拝観を行っているので、非公開の意味合いが違います。ご本尊の釈迦如来像が御開帳されたので、見に来た訳です。ただ、この御開帳も年4回はされてます。そのため、この春季特別公開を見逃しても、見る機会はあるんですが、その日に来られる保証は無いので、良い機会でした。湖東三山の秘仏を見に行ってから、私にとって、マイブームです

2月3日{節分}、3月22日(涅槃会)、8月8日~16日(六道参り)、12月7日~8日(大根炊き)の年4回御開帳があります。

本隆寺の南門の前の道が五辻通りでした。その道を真っ直ぐ西に行きます。突き当たりは北野天満宮ですが、その途中に千本釈迦堂の看板が出ています。

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ここの境内は自由散策ですので、何度か来てますが、前回はおかめ桜を見にきた記憶があります。

看板が出ていて分かりずらいですが、大きな石碑があります。そのまま石畳の参道を進むと境内入り口にあたる正門があります。

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右手が拝観入り口に見えますが、ここでは本堂と宝物館が有料のため、まだまだ奥へ進みます。

そして正門を入った左手に稲荷社があります。

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茶吉尼天尊、天上多田稲荷大明神を祀っています。

正門を入って、突き当たりの本堂。ここの最大の目玉は、京都最古の木造建築である本堂(国宝)です。

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応仁の乱をはじめ、幾多の戦火や火災から逃れ現存する木造建築です。詳細は本堂内部のガイドさんから話しを聞きます。

ここは通常拝観しているので、拝観受付はあります。

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通常拝観時の拝観料は、600円です。そして今回は、特別拝観は800円でした。学生さんが受付しているテントに招待券を差し出し、入りましたが、朱印は先に通常の拝観受付で済ませておきます。そしたら帰りに受け取ることができるんです。

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ここの受付を通るのは2006年6月以来、8年振りのことです。少しワクワク感は、ありました。ここから本堂と霊宝殿に行けますが、案内どおり先に本堂に行きました。

学生さんより本堂に入るように言われましたが、案内が途中になるので、入らず本堂裏の庭園を先に見ました。

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ツツジが咲いてましたが、これが庭園と言えるかどうか・・・微妙ですが・・・

ここで写真を撮ってると、前の組の案内が終わったようで、堂内に入りました。そこで堂内は写真撮影禁止ですと注意がありました。

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写真は、8年前のものです。(当時は写真撮れました。今は知りません) お目当てはご本尊様です。もちろん御開帳された、真ん中のベストポジションを確保してガイドさんの話を聞きました。(ここで後ろでも、案内が終われば、ゆっくり真ん中で見られます)

案内の前にご本尊の釈迦如来像に合唱して始まりました。千本釈迦堂は、真言宗智山派の寺院で、瑞応山 大報恩寺が正式名称です。今から800年ほど前、1220(承久2)年に奥州・藤原秀衡の孫、義空上人によって開祖されました。゜本堂は、応仁・文明の乱にも奇跡的に焼失を免れ現存したことから1952(昭和27)年に国宝に指定されました。秘仏のご本尊・釈迦如来像は、像高約90㎝、東大寺南大門の金剛力士像を手がけたことで有名な快慶の弟子・良快(りようかい).の作品だと言われています。

案内は、ここだけで後は自由に見学です。ここの柱には刀傷なんか残っています。

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応仁の乱のとき、この辺りは西軍の中心部でした。その西軍の大将・山名宗全の特別の計らいもあり、この本堂が残されたと言われています。その歴史のⅠ頁を垣間見ることができました。

私のマイブームである秘仏を堪能し、本堂を出ました。次はもちろん霊宝殿です。

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後述しますが、ここは仏像がすごいです。入れば圧倒されるでしょう。

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看板の写真で、右が重要文化財・六観音像(馬頭観音)、左が重要文化財・六観音像(千手観音)です。六観音では、若に、聖(しょう)・十一面(じゅういちめん)・准胝(じゅんでい)・如意輪(にょいりん)の観音があります。

それ以外に重要文化財・十大弟子像(釈迦の弟子から選ばれた10人の老若の僧が十大弟子と呼ばれ、彫刻や絵画に多く表されています)、重要文化財・傅大士(ふたいし)並びに二童子像

霊明殿では、本堂よりも多くの参拝者が入ってました。やはり仏像ファンは多いですね

霊宝殿を出て通常の拝観受付で朱印帳を受取り、ここを出ました。本堂内で聞いたおかめ塚の見学です。

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あまりにも有名な話のため、誰もがご存じでしょうけど・・・おさらいです

昔、京の都に長井飛騨守高次と言う名の知れた大工がいました。その名声を聞いた義空上人は、当寺院建立の大工に高次を抜擢します。高次は多くの大工を動員して本堂の工事は順調に進んでました。しかし・・・信徒から寄進された貴重な、本堂中央の柱4本の内、1本を誤って短く切ってしまいました。借りの柱も見つからず苦悩する高次の様子をみかけた妻のおかめは、一計を案じます。「短く切ってしまった柱は元に戻せないので、他の柱も短く切ってこれに変わる柱上に斗栱(ますがた)」を載せ、長さを補うように」と提案します。思案にくれていた高次は、直ちにこの提案を受け、本堂は見事に完成します。しかし、妻おかめは、本堂の完成を見ることもなく命を絶ちます。女の知恵で落成したことが分かっては夫の恥と一切を秘すため自刃したものでした。自らの命と引き替えに夫の名誉を守った内助の功に感服した義空上人は、境内に彼女を祀るための塚を立てのが、今日のおかめ塚と言われるものです。今日もも災難消除や夫婦円満の信仰を集め、多くの参拝者がお参り来られます。

おかめ塚のあとは、本堂前にある阿亀桜(おかめざくら)です。

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満開時には見事な花を咲かせる枝垂れ桜です。本堂内は久し振りでも、この桜を見に来たことがあったわけです。もちろん満開時には沢山の方が見に来られます。(桜を見るだけなら無料です)

まったく目立ちませんが、境内の片隅の一角に七福神の布袋尊がありました。

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弥勒菩薩の化身と崇められ大吉運の布袋を背に万里悠遊の神仙(案内板より)

最後に、北野経王堂願成就寺です。

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場所は、正門を入った左手で稲荷社の次にあたります。1391(明徳2)年山名氏清が将軍家にそむき明徳の乱を起こしたましたが、室町幕府3大将軍足利義満に討伐されてしまいます。足利義満はその翌年、氏清とその一族、そして戦いでなくなった敵、見方の兵士を追討するため供養(北野経会)をし、北野経王堂願成就寺という三十三間堂なみの大堂を建立しました。しかし江戸時代に入り荒廃し解体縮小され小堂となった時、その遺構の木材を運んでここに縮小復元したのがこのお堂だそうです。

そのお堂から正門である南門を見ています。

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ここを下がれば今出川通りに出ます。ここより東の大通りである千本通りから通称の千本釈迦堂と呼ばれるようになりました。

ここを出て右手を進み北野天満宮の境内に出ます。そこからほど近い嵐電「北野白梅町」駅から帰路につきました。連休最終日のため、普通の日曜日に戻った人出であったため、ゆっくり散策できました。

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