京都浄土宗寺院 特別大公開 新善光寺へ

徳林院を出て次ぎに向かったのが、京都浄土宗寺院 特別大公開新善光寺です。富小路を下がって左手(東側)の露地を入ります。

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富小路から奥入ります。多くの人が富小路通りを歩いてて、この新善光寺にも多くの人が訪れてました。(写真では人が少ないように写ってるかと思います。この種明かしは最後に

露地の突き当たりに表門がありました。徳林院から歩いて1分で着きました。時間は11時23分になりました。

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境内は狭いのに多くの人が参拝に来られてました。

新善光寺の公開は、10月11日(土) 10時から12時で、拝観料は無料でした。

門を入って右手が地蔵堂、正面に本堂がありました。

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この狭い境内に参拝者が次から次から訪れてきます。

その門を入って左手に書院があって朱印の受付をされてました。私も朱印帳を出そうとしましたが、ここて驚くことが・・・山ほどの朱印帳が置かれています。こちらが聞くより先に「30分はかかりますが、よろしいでしょうか」と言われました。そこまで待ってると次ぎに行けなくなるので・・・諦めました。

どうりで「本堂に多くの人が座ってるなぁ」と思いました。ここまで来て朱印を断念したのは残念でしたが、本堂にはお参りしました。

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ご本尊の阿弥陀如来像は、長野の善光寺の阿弥陀如来像の分身像と伝わります。堂内は撮影禁止でした。あと善光寺如来縁起絵巻も掛かっていたので見させてもらいました。堂内は広くないので、お焼香をし、お参りして出ました。朱印に時間がかかるのて、本堂内でまってる人や外に座って待ってる人が目立ちました。

朱印をお願いしまたときに由緒書も訪ねました。しかし「置いてないんです」と言われたので、門の前にあった駒札から。

来迎堂(らいこうどう)と号する浄土宗の寺である。本尊の阿弥陀如来像は、善光寺(長野県)の創建者である本田善光の子、義助によって善光寺の阿弥陀如来像の分身像として造られたものと伝えられている。当初、この仏像は、南都(奈良県)にあったが、天仁2年(1109)に、堀川松原の地に伽藍が建立され、そこに安置された。以後、来迎堂新善光寺と呼ばれ、多くの帰依者を集めた。しかし、応仁の乱後、兵火に遭い、寺地も転々とし、1591年(天正19年)、豊臣秀吉の命により現在の地に移された。江戸時代には、幕府より御朱印の寺領を受け、天下泰平、国民安全の御祈祷所として栄えたが、天明・元治の大火で類焼してしまった。現在の堂宇は、その後に再建されたものである。

最後に地蔵堂だけ見て、ここを出ました。

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来迎地蔵尊が祀られていました。

ここは11時33分に出ました。残り30分弱となりましたが、後予定では2ケ寺残っています。こんなに忙しい参拝は珍しいです

ここで種明かしです。実は、ここには12時30分に戻ってきました。わざわざ戻った訳ではありませんが・・・。これは残りの寺院を拝観した結果で・・・こうなりました。12時も廻っているので諦めていたんです。先ほど境内の良い写真か撮れなかったので「開いてたら写真でも撮ろう」と思い表門まで戻ってきたら、中から住職さんが出てこられて、門を閉める準備をされてたんです。そこで「まだ朱印行けますか」とダメ元で聞いてみました。「まだ参拝者が残ってるので、大丈夫でしょう」と言われ朱印をお願いしました。驚くことにまだ何冊か残ってて、参拝者も待ってました。私も貴重な朱印をいただけて良かったです。それと善光寺さんの散華までいただきました。その上朱印代は「要りません」と言われたので再び、本堂に入ってお賽銭しておきました。そして誰も居なくなった境内を写真を撮ってここを出ました。住職さんはそこで門を閉められました。やっぱり普段は閉まってるんてすね。見られて良かったです。

次は、11時33分からの続きます。

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