迎春準備中の北野天満宮を訪問【前編】へ

年末の12月28日(金)、この日から年末休みに入った私は、早朝に北野天満宮の絵馬を撮りたく出かけました。年末寒波襲来で、この日は屋根と車に薄ら雪が積もり、出かける前にお湯を掛けて雪を溶かせて出発し、8時10分頃に天満宮近くのコインパーキングに車を止めました。

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今出川通りから少し奥まった所に「一の大鳥居」が立っています。“初詣”の幟もあって、お正月の準備は万端のようです。

余談ですが、このあと高さが10㍍もある一の大鳥居に長さが8㍍もある細いしめ縄を取付されたのを28日の夕方NHKニュースで見ました。私も見ていたんですけど・・・テレビには写ってなかです

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一の鳥居をくぐって右手には「影向松(ようこうのまつ)」があって、伝説では、立冬から節分の間で初雪が降ると天神様が、この松に降りられて雪見の歌を詠まれるとか。

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“一の大鳥居”から、暫くは参道が続き、次に“二の鳥居”があります。その参道脇には“神牛像”があります。これを撫でると学業成就などの願いが叶うという。

その先に「三の鳥居」が遠くに見えています。そのまま参道を進むと、左手に最初の末社がありました。

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伴氏社(ともうじしゃ)」といい、道真公の母君が御祭神となっており、子供の成長と学業成就を願う母からの信仰が厚いという。

この伴氏社の鳥居は、「京都三珍鳥居」と呼ばれ、嚴島神社の唐破風鳥居、木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)の三柱鳥居とともに、国の重要美術品に指定されています。それは足元(台石)を注目すると、台座に蓮弁が刻まれおり、鎌倉時代の作だそうです。

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伴氏社の前が「三の鳥居」です。ここまで来ると前方に楼門が見えて来ました。目的の“絵馬”架かっています。

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鳥居をくぐり参道を歩くと左手に「筆塚」、そして昨年12月に完成したホールや展示スペースを備えた施設「文道会館」が出来てました。

この建物は、鉄筋コンクリート造り、地上2階、地下1階。1階には300人が収容できる多目的ホールや社務所、2階には賓客を出迎える貴賓室が設けてあります。そして、その先が「楼門」です。

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扁額には「文道大祖 風月本主」と書かれています。この詞は平安時代の学者、大江匡衡(おおえのまさひら)が菅原道真公を讃えた言葉です。

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毎年12月上旬に掲げられるジャンボ絵馬で、これを撮りにきたのが目的でした。来年の干支、亥と菅原道真が愛した梅の花が描かれます。

この絵馬は、重さ約120㌔。日本画家の三輪晃久さんが原画を担当し、宮大工と神職が約20人で楼門に取付られました。来年の1月25日の初天神まで掲げられます。

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楼門には“随神”が両脇に鎮座していますが、裏側に回り込むと人形が飾ってありました。正月の時期だけなんでしょうか

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楼門を入って右手にあるのが「手水舎」です。ここにも神牛像
が居ました・・・天満宮らしいですよね。

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ここから本殿に向かいますが、その手水舎の前には「絵馬舎」がありました。ここで、書道上達を願い書き初めをお正月にされるかと思います。

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絵馬舎から正面を見ると「三光門(さんこうもん)」(重要文化財)、奥に「拝殿」(国宝)が見えています。この時間では空いてますね。

この三光門の前に、摂社が並んでいます。それで先に寄って行くことにしました。最初は東側の手前から。

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白太夫社(しらだゆうしゃ)」祭神は、渡会晴彦翁。子授・安産の神。世継ぎの誕生を伊勢神宮の青年神官だった晴彦に託され豊受大神宮に祈願してお生まれになったのが菅原道真公でした。

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その向かい(西側)には「福部社(ふくべしゃ)」祭神は十川能福(そごうのうふく)。金運・開運招福の神。十川能福は、菅原道真に使え舎人(とねり)でしたが、いつの頃より、「福の神」として尊敬をあつめるようになったようです。

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再び東側に戻って「火之御子社(ひのみこしゃ)」祭神は、火雷神(からいじん)。雷除け、五穀豊穣の神。大晦日の“北野のおけら詣”の火縄はこのお社の浄火を移したものです。

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またまた西側に戻って「老松社(おいまつしゃ)」祭神は、島田忠興(しまだただおき)翁。植林・林業の神。祭神の島田忠興は、菅公の家臣と伝えられ、また公の岳父(夫人の父)とも言われています。

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その先の東西に「神牛像」があります。写真は西側ですが、皆さん撫でられるのでテカテカですね。

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その三光門から見て右側に、この日は“しめ縄”が置いてあって、この前で神職さん・・・多分20数名でしょうか並ばれて、お祓いを受けられてました。

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写真左が「大黒天燈篭」で、右が「織部型燈籠」です。2015年(平成27年)3月の「北野天満宮 梅苑早朝特別参拝と七不思議」で神職さんから詳しく話を聞きました。

大黒様の口(または頬とも云われる)に小石をのせて落ちなければ、その小石を財布に入れて祈るとお金に困らないと言われていることと、キリシタンであったと言われる古田織部が、国で禁じられたマリア像を彫って、天神さんに奉納された・・・と言う話でした。

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重要文化財に指定されてる「三光門」をくぐります。昨夜に降った雪がほんのり屋根に積もっています。

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東西に“楽の間”を持つ国宝「拝殿」です。“石の間”で本殿と繋がっています。お正月には大変な混雑なんですけど、この時間には誰も居ません。

京都御所の西北、乾の方角に位置する北野天満宮。平安時代に無罪の罪で流罪となり非業の死を遂げた貴族・菅原道真公の御神霊を祀り、都を守る皇城鎮護の神して建立された古社で全国各地にある「天神さん」の総本社として崇敬されています。

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拝殿の前・・・西側には御神木の「飛梅」が、樹齢400年とか。そして東側には「」がありました。

伝説によると、道真公が流罪となった後、道真公を慕う屋敷内にあった庭木の梅の木・桜の木・松の木のうち、桜の木は悲しみのあまり枯れてしまい、松の木は空を飛びますが途中で力尽き摂津国八部郡板宿で根を下ろした。梅の木だけは主人のいる太宰府まで飛んで行き、そこで根を下ろした・・・と。

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三光門前にあるのが重要美術品に指定されてる「渡辺綱の石燈籠」です。渡辺綱は、平安時代中期の武将・源頼光の四天王の一人で、大江山酒呑童子退治などで有名です。

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本殿周りには誰も居なかったは、ほんのちょっとだけ・・・それでもいつも賑わってる北野天満宮にしては珍しいです。帰りも三光門が出て行きました。

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正面の拝殿からは見えない国宝「本殿」です。豊臣秀吉の遺命により豊臣秀頼が1607年(慶長12年)に造営。“八棟造”と称される檜皮葺の屋根に波風を飾った美しい造りをしています。

それで本殿の裏側に回り込みます。ここは「御后三柱(ごこうのみはしら)」・・・天穂日命(あめのほひのみこと・道真の祖先神)・菅原清公卿(すがわらのきよきみきょう・道真の祖父)・菅原是善卿(すがわらのこれよしきょう・道真の父)が祀られており利益が、学徳成就です。

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北野天満宮では拝殿で、天神様をお参りして、そして本殿の裏に回って御后三柱(天神様のご先祖)をお参りするのか常だったようです。

ここから北門を目指します。何度も来ている北野天満宮ですが、北門を出入りするのは初めてです。この模様は後半に・・・。

【北野天満宮 三光門】

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